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丁寧でわかりやすい!実践しやすい気学をお伝えしています♪

塾長プロフィール

幸せになるための「九星気学風水」をお伝えする
氣彩塾kisaijuku 塾長 北城彩華(ほうじょう あやか)
1963年3月22日生まれ 一白水星 岡山生まれ大阪在住

  • 気学をマンツーマンで分かりやすくお伝えする講師
  • 大阪・難波神社で開催の「神社de開運マルシェ」主催
  • 資格取得後、まだ不安を抱える占い師の一人立ち支援「ひよこっ娘くらぶ」主宰

これまでの実績

  • 神社ツアー⇒2019年までの3年間で300名以上の神社ファンをアテンド
  • 「お金が喜んで集まってくる!開運お財布講座」⇒150名以上が受講
  • 「神社de開運マルシェ」⇒約30以上の出展者枠が瞬時に埋まる人気のイベント
  • 気学講座⇒「初心者にも分かりやすく・学びやすく」がモットー!受講者満足度96%を誇る

生徒様が「気学が楽しい!」「学んで良かった!」と思って頂ける講座作りを心掛け
お一人お一人に向き合った対応を得意としている。

ご挨拶

初めまして。
氣彩塾 塾長の北城彩華です。

九星気学は「行動の開運術」と言われています。
ただ運気を見るだけではなく、幸せになるための行動の仕方を教えてくれる学問です。

私自身、この「九星気学」を学び行動したことで今まで固執していた考え方が変わり、道が開かれ、たくさんの方とご縁を頂けるようになりました。

幸せな結婚をして、子供を持つという「一般的な夢」さえ叶えられなかった私が

なぜ、今のように「九星気学風水」を皆様にお伝えしていくようになったのか。
なぜ、今が1番幸せ!と心から思えるようになったのか。

長くなりますが、ご興味のある方は私のストーリーをお読みいただけましたら幸いです。

私のストーリー

1963年 生を受ける

岡山県玉野市で長女として生まれました。
父が長男であったため、祖父母や親類たちからとても愛されて育ちました。

2歳の時に父親の転勤で千葉県市原市に引越しました。
社宅のアパートの屋上でバレーボールしたり、敷地の金網に登ったりする活発な女の子でした。

小学校2年の終わり、祖母の具合が悪く岡山に戻ることになりましたが
泣いて押し入れに閉じこもり、ボイコットしたことを覚えています。

小学校 初めてのいじめ

小学3年生の時に千葉から岡山に戻ってきました。
楽しい学校生活しか知らなかった私は一気にどん底に落とされました。
言葉の違いと容姿への偏見でした。

千葉の社宅で育った私はおっとりした標準語を喋っていました。
そして、容姿。

私は父親似で「わし鼻」だったのです。
横から見ると「魔法使いのおばあさん」そっくり。

その事から、男の子から「気持ち悪い」「そばに寄るな」「あっちへ行け」
もちろん、体育のフォークダンスの授業でも手は繋いでもらえません。

暗く長い小学校時代でした。

中学校 期待を抱いたものの。。。

中学校は地元の3つの小学校から上がってきます。
中学校に入ったら、状況が変わるかもしれない。

淡い期待は夢と散りました。
生徒が増える分、嫌われる人数も増えます。

中学3年生の時、母親がやっと私の状況に気付きました。
なにせ、死ぬ方法ばかり考えてたのですから。
そして、必ず遺書は書こう。
遺書の中には私をいじめていた男の子の名前を全て書こう。
そう心に決めていました。

母親が気付くまで、いじめのことを親には言えませんでした。
心配をかけたくないと思うあまり、私は「自分がいじめを受けている」とは口が裂けても言えなかったのです。
なので毎朝明るい顔で登校し、学校でズタボロになった心を隠して家に帰りました。

気付いた母親が担任と相談してくれましたが、現状は変わりませんでした。
なので、高校は逃げるように他県の学校を選びました

高校時代 初めての楽しい学校生活

高校は香川県の高松市にある女子高を選びました。
男の子は怖かったので、男の子の居ない環境を希望しました。

家を朝6時半に出て、学校へ着くのは始業の8時45分ギリギリ。
時には霧で通学用の船が止まると、学校に着くのが終業時間と言う事もありました。
不便でしたが、それでも楽しかったのです。

あまりに楽しかったので、高校・短大と5年間通いました。

就職 そして過ちの始まり

他県の学校へ通っていたために地元での就職が難しく、最初はアルバイトとして地元の市役所に入りました。

そこで知り合ったのが、その後の私の人生を変えたであろうM氏。
男の子が怖くて逃げていた私に初めて優しくしてくれた人。
私にとって初めての彼氏、それがM氏でした。
男性と付き合った事が殆ど無かった私は、彼にのめり込んでしまいました。
しかし、彼は既婚者だったのです。

最初、M氏が妻子持ちだとは気づきませんでした。
それは、かなりの束縛をする方だったからです。
毎日仕事の後に会うのは当たりまえ、土日や盆正月も会わないといけなかったのです。

女友達と会う事さえも許してくれません。
嘘をついて友達と会っていると、居場所を探されて連れて帰られます。
会社で残業していても、「家の者です。」と電話してきて退社させられます。
それは全て自分と会う時間が少なくなるからという、彼の自己中心的な思いからの行動でした。

その束縛が嫌になり、逃げるように実家を出てアパートを借り、携帯の番号を変えました。
やっと離れられた・・・と思ったのも束の間。

変えたばかりの携帯から聞こえたのは。。。
「何で知ってるの?」
「適当に掛けたら繋がったんだよ。」
ニコニコしながら歩いてくる姿が窓から見えた時にはぞっとしました。

もう逃げられないのか・・・
逃げるモノは追いたくなるのが本能。

どうしても会いたくない夜。
居留守を使い、部屋を真っ暗にして隠れていると、M氏のドンドンと玄関のドアを叩く音。
駐車場に車があるので居る事がばれているのです。

それでも出ない私に怒り、玄関横の台所の窓ガラスが素手で叩き割られました。
あまりにも怖いので、震えながら警察に電話。
駆け付けた警察官は、「俺の彼女です」というM氏に『民事不介入です』の言葉を残して帰っていきました。

警察は当てにならない。

それでも最後は警察のお世話になるような事件が起き、ようやく離れることが出来ました。
警察が「告訴も出来ますよ」と言って下さるほどの事件だったのですが、相手は公務員です。
告訴しようものならクビですよね。
クビになったら、どんな仕返しをされるかわからない。
それが怖くて告訴はしませんでした。

その代わり、警察に呼んで「厳重注意」をして頂きました。
その後、様々な嫌がらせを受けましたが犯人が確定できず、全て警察に記録を残して頂くことにしました。
今後何かあった時の証拠になるからと警察の方も協力的に対応して下さいました。

警察沙汰になってやっと別れられましたが、仕事は失いました。
この件は、私と相手の2人だけではなく、私の職場をも巻き込んだ事件でした。

苦痛だけの結婚生活

もう恋愛はしたくないと思いましたが、やはり幸せにはなりたい。
母の勧めでお見合いをし、そのまま結婚しました。
なんの感情もありませんでしたが、「暮らしていれば、そのうち好きになる」という、いい加減な助言を受け始まった結婚生活。

最初に「好き」と言う感情が出てくればよかったのですが、私に湧いてきた感情は「嫌悪感」。
そうなってしまった相手と暮らすのは大変です。
ましてや夫婦です。
お決まりの夫婦生活も「頭が痛いから・・・」と断ることに。
その時に帰ってきた言葉は「頭は寝てて良いから」でした。

私ってダッチワイフ?

そして、いよいよ苦しくなった時。
友達の家に遊びに行くと言う避難を計画しました。
1週間くらい家を空けても良いかと許可を求めると、すんなりOKが出ました。
そして「自分もせいせいするから」と。

苦痛だったのが私だけではなかったのなら帰る必要はないと思い
その日から家には戻りませんでした。
それからもいろいろあり、やっと籍が抜けたのは2年後でした。

幸せになるために大阪へ来たはずが。

離婚から10年。
やっと幸せになれる♪と思って大阪へ来たのは2度目の夫となるSさんとでした。
しかし、大阪での幸せな生活は、たった1か月でした。

夫の借金が発覚。
一気に支払いに追われる生活になりました。

持っていた貴金属はすべて無くなりました。
知らない間に督促状が来る。
夫の借金と、私のカードからいつの間にかキャッシングされていた明細書。
家賃にと口座に置いていたお金も使われ引き落とし不能の連絡。
普通に働いていたのでは間に合わないくらいの支払いに、ありとあらゆる仕事をしながら必死にやりくりしていました。

誰も知り合いの居ない大阪。
たまに帰ってきてお金だけ持っていく夫。

この時期は本当に私の暗黒時代です。
人間として最低の仕事をしていました。
内容は最低であっても賃金の高い仕事に就かなければ、とうてい支払いができないほどの負債を抱えていたからです。
この仕事に付く人は殆どが私と同じように借金を抱えた人です。
中には気楽に考えて稼ぐ方もいましたが、自分と法律を守る私の仕事スタイルは、舌打ちされたり、罵声を浴びせられたり、反対に脅されたり。
なのでお給料は高いけれど、心の病む仕事でした。

たまに帰ってくる夫に「もっと頑張ってくれ」と言われました。
こんなに苦しい思いをしながら頑張ってるのに、まだ頑張れと言うの!?
鬼か!と泣き叫んだこともありました。

仕事帰りの地下鉄のホームで、このまま一歩踏み出しさえすれば楽になる。。。
そう思った私もいました。

「もし、何らかのことで自分が死んだ時、
その人の職業とか肩書が名前と共にテレビのニュースに出るんだよね・・・」という話を職場でしたことがありました。
その時、私は今の職業のまま死ぬのは嫌だと思ったのです。

そして、「このままではいけない!」と、思い立ち

夫と縁を切る。
他人(夫)の借金は払わない。
人様に堂々と言える仕事をする。

そう心に決めて、現状から抜け出すための行動を起こしました。

やっと人並みの生活に戻れる

しかし、その時すでに40代になっていました。
40代と言えば、人生の半ば。
大半の女性が40代までにやっていること、
好きな人と結婚して、子供産んで家庭を作って・・・・ということは出来なかったけれど、
その代わりに、私だから出来る事が何かあるんじゃないか?という思いがわき上がり、いろいろな勉強を始めました

最初はカードを使ったセッションをしていました。
私が気付いて行動を起こしたからこそ、最低の生活から這い上がれたように、
このカードが悩んでいる人の気づくきっかけ、
行動するきっかけになってくれたら・・・と思っていました。

しかし、私のセッションを受けてくれる人は殆どいませんでした。
知り合いの居ない大阪で、認知度を上げる事が出来なかったからです。

そんな時、村山幸徳先生の「九星気学風水」に出会いました。

新たなる決意と共に。

気学は以前に一度学んだことがあり、鑑定士の資格を取得していました。
しかし、村山幸徳先生の気学は違ったのです。

「気学」という占術を学ぶだけではなく、人間として正しく生きる方法を教えてくださいました。
心を教えてくださいました。

そして「姓名鑑定」も学び、自分の名前を選名する事で、私の人生はグングンと変わっていきました。
今まで誰にも見向きされなかった私が、
たくさんの方を神社ツアーでアテンドすることが出来、たくさんの方がイベントに参加して下さるようになりました。
そして、多くの方から心からの「ありがとう」を頂くことが出来るようになりました。
知り合いのいない大阪でひとりぼっちだった私が、温かい人々に囲まれる私へと変わっていけたのです。

これは、全て村山先生の教えに出会ったからです。
だからこそ、
村山幸徳先生の「九星気学風水」を1人でも多くの人にお伝えしたい!と決意したのです。

今、たくさんの素敵な方たちが私の回りにおられます。
それは、私が決意して行動した結果です。

1回目の決意で、最低の生活から抜け出すことが出来ました。
2回目の決意で、気学の講座開催・神社ツアー・マルシェ開催のどれもが軌道に乗りました。

これらもすべて、決意して行動した結果です。

1人でも多くの人に幸せになって欲しい。

私が最低の生活をしていた時、
どん底で悩んでいる人たちを数多く見てきました。

そして今も、
悩んでいる方、先の見えない方をたくさんお見かけします。。
「私の人生このままなのだろうか?」と不安な方もいらっしゃるでしょう。
かつて私もそう思っていました。

しかし諦めないでください。
人生に「手遅れ」はありません。

自分が「幸せになる!」と決めて行動すれば人生は変わるのです。

九星気学風水は幸せになるための行動の仕方を教えてくれます。
学びながら人生を変えましょう!

決して遅くはありません。
気付いた時がスタートです!

私と向き合いながら学びを進めることで、あなたの人生は必ず “開運” していきますよ。

 

幸せになるための「九星気学風水」をお伝えする      
氣彩塾kisaijuku 塾長 北城彩華(ほうじょう あやか)

 


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